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【出雲街道・根雨宿】
出雲と山陽道を結ぶ
重要な横断道路です。
街道の難所「間地峠」の麓です
伊勢・熊野・吉野参りや
たたらやうなぎの運搬で重要な
役割を果たした宿場です。
根雨の街は
おしどりが住む街として
全国から愛されている街です
間近で見える観察小屋も作られ
シーズンには全国からたくさんの
人が訪れます。
日野町ホームページへ このページの写真は
日野総合事務所県民局から
お借りした写真をもとに
掲載しています。

駕籠先の松拡大写真
峠を根雨側へ下りたところが舟場の集落、峠の道路を改修した功績で
庄屋の佐々木丈助に松江藩主から駕籠先の松を拝領したものを庭へ
植えたとされている「駕籠先の松」が2本大きくそびえている。
【駕籠先の松】
およそ一ヶ月近くかかって江戸城に赴いた参勤交代には、殿様が
駕籠旅の気晴らしに数種類の盆栽も同行したと言われている。
CDもカーナビもTVもなく、座布団ほのどスペースに20日以上も
ゆられて旅するのは相当の根性が必要であったかも・・
殿様にならなくて良かった。。。

↑現在のうなぎ池  昭和30年代の写真→
【舟場のうなぎ池】
宝暦6年(1756年)中海ではウナギが
空前の豊漁となり「献上うなぎ」として
関西方面に生きたうなぎの出荷が始
まった。((明治40年頃まで続いた)
ウナギを生かすため宿場では専用の
池を確保した、献上品であるため
川渡しも最優先として扱われ
「この紋所が目に・・」と途中からでも
引き返させるほどの配慮。
【祇園橋】
平家物語で知られる長谷部信連公が
京文化を真似て名付けたとされる。
【根雨神社】
本殿裏手には石器時代の巨石遺跡が
ある、社の森は県の天然記念物。
【牛馬つなぎの石】
享保11年(1726年)〜昭和12年(1937年)
まで、大山の博労座で行われた牛馬市
年間1万頭の牛馬が峠を行き来する際
つながれた石。
樹木や柱につなぐと、ぐるぐる回って
首を絞めることになり、回っても安心な
石に休憩の間牛馬をつないだ。
(峠の茶屋 間地・砂原家に残る)

伊藤宜堂の溝口郷校 【溝口郷校】

文久2年(1863年)出雲街道が一部
変更された。
これに伴い溝口宿本陣のお茶屋が
不要となり、二部宿の足羽純亭が
鳥取藩の支援を受け、当時松江藩
日本有数の易学者「伊藤宜堂」を
呼び寄せ、岡山の閑谷学校と並ぶ
庶民高等教育学校を開校した。

伊藤宜堂は隣の江府町江尾出身

歴史の残る日野宿「根雨」を散策してみませんか?

画像は日野総合事務所県民課よりお借りしています。
文章は元溝口小学校校長南波睦人氏が6月5日に
行われた歴史を訪ねる会で配られた資料に加筆して
掲載しています。


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